1992年バルセロナオリンピック
女子200m平泳ぎ決勝 7月27日
日本中いや、世界中の人が驚いただろう。
無名の選手そして、オリンピック史上最年少の少女が金メダルを獲得したのだ。
岩崎恭子14歳(当時)
オリンピック代表を決める日本選手権は2位で代表権を獲得。その時の記録は2分32秒65。
オリンピックの1週間前に14歳になり、迎えたバルセロナオリンピック200m平泳ぎ予選
いきなりの2分27秒78。
それまで30秒も出したことがないのに・・・・。
予選2位通過。それでも、あまり注目はしていなかった。
競泳競技2日目
決勝の日
金メダル候補の世界記録保持者アメリカのアニタ・ノールが序盤からぐいぐい飛ばす中、岩崎は前半押さえ気味でレースを進めていた。そして150mのターン後、岩崎は一気にピッチを上げ猛然とノールを追い上げた。
そしてラスト20メートル、
実況の島村俊治アナウンサーが。
「日本の岩崎にチャンスがある! 岩崎にチャンスがある!
もうメダルは間違いない! 並んだ、並んだ! 逆転した! タッチは!?」
次の瞬間、解説者の高橋繁弘さんは解説を忘れ
「やったーーー!!!」
とマイクの前で絶叫していました。
しばらくして、島村アナが笑いながら、
「いやぁ、高橋さん、ほとんど解説になりませんねえ」
「すいません、興奮しちゃって…」
と高橋さん。
番狂わせの結末。
アニタ・ノールをゴール10mで抜き去り、タッチの差でゴール!!
記録:2分26秒65(当時・五輪新、日本新)
そしてインタビューで答えた言葉。
「今まで生きてきた中でいちばんしあわせです」
未だに伝えられている、世界一素直なコメントだった。
無名の少女が世界のヒロインになった瞬間だった。
私と同年代の選手がオリンピックという桧舞台で感動と驚きをくれたレースでした。
こんなレースを忘れることは出来ません。 |