「1988年ソウルオリンピック出場を賭けた熱き男の戦いがそこにあった・・・」
当時が懐かしい・・・私の専門も彼らと同じ平泳ぎだった。
当時を振り返ると忘れもしないあの名レースが目に浮かんでくる。1988年ソウルオリンピック!!この大会の出場を賭けた熱き男の戦いがそこにはあった。このドラマは現在、中京大学水泳部監督、高橋繁浩先生を中心に繰り広げられた男の熱き戦いを描いたものです。
1978年サンタクララ国際100mと200m平泳ぎに優勝し、1978年度世界ランキング1位をマークした高橋繁浩選手。平泳ぎでは無敵の存在であった。同年の第3回世界選手権100m平泳ぎは6位入賞を果たし、第8回アジア大会100mと200m平泳ぎで優勝するなど数々の素晴らしい成績を収め、平泳ぎ選手やその他の選手まで、憧れ的存在だった。しかし、事件は起こる。「水没泳法」だ。泳法違反で失格を取られスランプに陥いった。1984年ロサンゼルスオリンピック出場後に現役を引退。指導者の勉強、そして水泳部コーチとしての道を歩み始めた。
しかし突然、高橋選手に明るいニュースが飛び込んできた。1987年に FINA ルールの改正が行われた。(高橋選手にとっては諦めれない何かが出てきたんではないかと想像する。)これを契機に現役復帰。1988年ソウルオリンピック出場に向け、新たな高橋選手の選手活動が復活した。まず、代表選考会の1年ほど前だったと思う。現役を引退していた高橋選手が、現役復帰(カムバック宣言)をした。当時、テレビ朝日の報道でも取り上げられていた。既にその頃は新旧交代時期で平泳ぎの戦国時代とも言われていた。ここで、その当時の選手を紹介しよう。
まずは200m平泳ぎを得意としていた渡部健司選手(早稲田大)、当時100m平泳ぎの日本新記録保持者の不破央選手(日本大)、そして新星、長畑弘伸選手(同志社大)、山内弘也選手( JSS 東花園)がいた。まさしく新旧交代戦国時代だった。現役復帰した高橋選手にとってこの4名の選手の存在は大きく強敵だった。いよいよソウルオリンピック代表選考会がやってきた。岡山の 倉敷市 で行われた。ファンの期待を背に200m平泳ぎ予選に出場した高橋選手。しかし予選1位通過はなんと新星、長畑弘伸選手だった。長畑選手のスプリント力、勢い、パワーは高橋選手はもちろん、その他の選手にとっても強敵であり、長畑選手の持ち味、存在感を大きくアピールした予選だった。高橋選手は遅れをとっての予選通過だった。
そして決勝・・・熱き男の戦いが始まった。
高橋選手にとっては、長きに渡り君臨してきた平泳ぎの王者としての誇りがあり、決勝レースでは、予選の悔しさ、恐怖、迷いはなかった。
200 m にも関わらず、前半からぶっ飛ばした高橋選手がそのままリードを保ち、見事1位でゴールイン。そして念願だったソウルオリンピックの出場権を獲得した。
・・・それから3ヶ月の間、北海道の野幌でオリンピック強化合宿を行った。
そして本番のソウルオリンピックではB決勝に残り、 自己の持つ日本記録を10年ぶりに塗り替える 日本新記録を樹立した。(すべてが高橋さんの集大成が現れていた気がする)
現在のように報道も充実していなく、またプロ化にもなっていなかった為、北島康介選手のように大きくスポットを浴びることがなく、一般の方にもあまり知られていないのも現実。
しかし、水泳を愛する者として永遠に忘れることのできない心に残る名レース、そして心に残る名選手として今でも私の心に残っている。
「不死鳥 高橋 繁浩 」 現中京大学水泳部監督
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